養鶏のblog

日常など

2023年帰省2 その他色々

今日電車でキリンジのDrifterを聴いてたら号泣してしまいました。ずっと抱えていた心のつっかえが少しとれたような気分です。最近ずっとキリンジ聞いてますねー。

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帰省してからは地元の友人とかと飲んでたり遊んだりしてました。6年ぶり位に会った人とか、変わってしまった人もいれば変わっていない人とかもいて、諸行無常を感じました。地元の友人は喋らなかった分過去を取り返すみたいな感じで喋ってたんですけど、今回の帰省でそう考えるのはもう辞めようかなと思いました。

 

二個下の弟も僕と同時期に就職が決定し、これまで負担を散々かけてきて主に受験とかで口論等も何度も繰り返した両親にやっと安息の時代が訪れそうで良かったです。かつてtwitter上でもたまに親の青い悪口が自分から出る事がありましたが、時間がたつと薄れていくものですね。改めて自分は手のかかる息子だったなーって感じです。

 

やっぱり長崎は現地で灰色の時代を過ごしてきた自分にとっては負の印象が強い都市です。街を歩いているとあまり元気が無くなり、見られてる感じがして聞きたくもない声が聞こえて統合失調症みたいな感じになっちゃいます。東京だと街の人たちは無関心だからあまりこういう感覚は感じないです。今回初めて上京後の知人(サークルの先輩)を連れて市街地を歩いてみたら少し解消された感じがしました。

 

個人的には就職してからはあまり地元に戻りたくないと感じているが、仮に次帰った時は中町商店街を散策して純喫茶に行くとかセントラル劇場っていう古い映画館に行くとか、大浦の方の古くてこじんまりとした銭湯に寄ってみるとかのほのぼのカルチャーごっこをしてみたいなーと思っちょります。でも、自分の祖父母が全員存命してて可愛がってくれるので情に流される分戻るか戻らないかは分からないですね。

 

やりたくもない修論執筆をしなきゃいけないんで、ブログ更新はこの辺にしようと思います。今年もよろしくお願いします。

2023年帰省1 二人旅

年末年始長崎に帰省しました。今回は非常に自分にとって意義のある帰省になったと思います。

 

僕は元々年一間隔で帰省していましたが、今年はお盆と正月両方帰省しました。コロナ明けという事と、長い事会ってなかった甥っ子姪っ子が成長しててまた会いたいなーと感じた事位ですかね。

 

まず帰省のついでという事で、社会人の大阪に住んでるロッ研の先輩と二人旅行してきました。去年とかは一人で旅する事が多かったですが、自分にとって初の二人旅という事で時折意見が合わなかったりして苦労しました。ルートは博多~佐賀の武雄・嬉野温泉で一泊~長崎って感じですね。自分は東京から飛行機で飛んできて、博多で先輩と合流しました。

 

特に旅の計画みたいなのを立ててなかったので、電車の乗り継ぎとかも行き当たりばったりでした。JR九州の特急とか新幹線とかのシステムがよくわからなくて苦労して駅員さんにも迷惑をかけてしまいましたね。博多から長崎までは博多~武雄温泉までを特急かもめ号で、武雄温泉~長崎を長崎新幹線で行けます。他にも博多~長崎間をバスで往復する手段もあります。バスは2900円、電車はかもめのネット予約で4200円となっております。

 

博多から武雄温泉まで特急かもめ号で1時間位で着きます。武雄は佐賀の西側にある都市で、よくある地方都市って感じです。中央にゆめタウンというイオンモールみたいな感じの施設があって、後は飲食店がポツポツあってって感じです。武雄温泉の旅館に荷物を預けて、バスで嬉野の方を目指しました。

 

嬉野温泉に向かうバスを途中で下車して、森とリスの遊園地メルヘン村に向かいました。ここは僕が幼い時によく家族と行ってた所ですね。その頃の両親が一番幸せそうな顔をしていたのを思い出します。バス停からメルヘン村に向かうまで30分位歩いていましたが田舎の畑の風景がいい感じでした。

メルヘン村に向かう途中の畑

 

メルヘン村にいった感想としては古い遊具がしっかり整備されていた小さい子向けの温かい遊園地って感じでした。多分6歳までの子供を連れて行くにはいい場所なんじゃないんでしょうか。相方の先輩は廃遊園地じゃないってつまんなそうにしてました。後動物たちが可愛いくて癒された位ですかね。

メルヘン村入口

ジャケ写みたいな遊具

うさぎ

 

 メルヘン村の後は嬉野温泉までバスを使っていきました。嬉野温泉は温泉街です。温泉好きな先輩に泉質の良い所を薦められてそこに行く予定だったのですが案の定閉まってたので、代わりにみてくれのよさそうなシーボルトの湯に行きました。

シーボルトの湯外観

シーボルトの湯につかった後は疲れていたので晩飯を食べに武雄に戻りました。晩御飯は適当に武雄を散策して結局インド料理店にしました。インカレからは何処からでも逃れられない宿命なんですかね。ビリヤニを注文しましたが爆盛すぎて途中でお腹いっぱいになりながら食べました。散策中に行った武雄の図書館がなんかデカくて新しくてすごかったです。

 

後泊まった宿の内装がめっちゃカルチャーって感じでした。入口に年季の入ったクラシックカーが停めてあった時点で少し察する所がありました。カフェスペースには往年のモダンジャズの名盤のCDが並んでて感動しましたね。

www.saga-kyotoya.jp

 

一番すごかったのはレジーナフォンっていう昔のオルゴールと蓄音機の機能が両方使える機器が展示されてた事です。朝型になって宿の人にレコードの音を聞かせてもらったんですけど、木のホルンから温かみがある音が聞こえてきてノスタルジックで最高でしたね。

ジーナフォン

武雄から長崎まで新幹線で移動しました。長崎駅前が昔から変わりすぎてて何も言えませんでした。昔の歩道橋の上の広場とか、もう撤去されてて空しいですね。新しい商業施設がオープンしてて、すごいなーって感じでした。

 

長崎では主にグラバー園とか中華街を散策しました。グラバー園はもう行きすぎて書くのもいいやって感じですけど、見晴らしがめちゃくちゃいいスポットです。「色づく世界の明日から」っていうアニメの聖地みたいになってて変わったなーって思いました。グラバー園から帰る途中で先輩とはお開きにしました。

 

次回に続く...。

長崎について

僕の地元は長崎県長崎市である。小中高+浪人までずっとここで過ごしてきた。一般的な長崎市に対する所感は、異国情緒があり、坂が多くて街並みが美しく、夜景が綺麗という点だと思う。後は修学旅行で一度訪れてその後二度と行かないみたいな扱いを受けていると思う。

 

一般的な長崎市のイメージはこんなもんだが、元地元民の感想は以下のとおりである。

 

長崎市には路面電車が通っており、これが非常に便利である。値段も一回乗って降りるだけで140円と安く、行ける範囲もかなり広い。混むときは混むが、朝の通勤とか山の手線みたいなやつよりははるかにマシである。後長崎市は全体的に平野部が狭く、そこに商業施設なども密集している。狭いからか知り合いと遭遇するイベントがごくたまに発生する。人見知りの自分からすればあまりよろしくない所である。

 

文化というか音楽について。長崎はサブカルチャーがあるだの思われがちだが僕はあまりそのようには思えない。レコ屋はあるにはあります。

maps.app.goo.gl

長崎の浜町アーケードという一番でかい商店街の片隅に存在しています。品ぞろえはユニオンとかには劣るけどいい方なんじゃないすかね。レコードが充実してます。

ただ皆さんが知ってるような吉祥寺や高円寺とかにあるアンダーグラウンドな音楽を受け入れてくれそうなライブハウスが無い。大分だとAT HALL、熊本だとNavaroとかが有名だけど、長崎にはそういう所が現状ないっす。

大分 AT HALL ↓

https://www.athall.com/

熊本 Naravo ↓

https://navaro.info/

 

教育について。長崎の学校は全体的に古いしきたりのような厳しい校則だとかが多い。頭がいい学校とかは大体そうである(知りたかったら某長崎の自傷神学校系インフルエンサーとかを参照してください。)。男女交際禁止スマホ禁止だの、この記事を見ている人にはあまり想像できない人が多いかもしれない。教師も教師で、お上からの指示に耐えられなかったのか厳しく教えている人が多い。彼らもストレスを溜めこんで働いているように感じる。僕は地元の私立の中高一貫校に通っていたけど、はー僕の所にも軽音部があったらなー。

 

長崎には規模の大きいお祭りが三つあります。お盆の精霊流しと10月上旬にある長崎くんち、2月上旬のランタンフェスティバルの三つです。この時期になると長崎市民はみんなこれらの行事を見に行きます。精霊流しは故人の遺品を載せたデカい船を親族総出で運んで海に流す行事です。運ぶ際に爆竹をやかましくパンパン鳴らすので、町中戦時中みたいになります。長崎くんちは各町のみこしとか催し物とかを町中に披露するイベントです。みこしを見に行くよりかは港の方で開催されている大規模な出店を楽しむ人が多いですね。ランタンフェスティバルはめっちゃ簡単に言うと中華の雰囲気を感じられる祭りです。(割愛)

 

街並みについて。マジで本当にいいと思います。東京とかのずっと何も高低差のない光景に比べて、散歩する分にはかなり暇を潰せます。後よそと比べて野良猫が多いです。

風頭山から見下ろす長崎市

グラバー園の上付近

こんな感じですぐ上の方から長崎市を見下ろせます。他に中島川沿いを散策するのとかも楽しいですね。散歩途中に壁が富士山の銭湯とかあったら面白そうだけど、あんまりないんですよね。

後は全国的な田舎とそこまで大差ないんじゃないですかね(人のうわさ話が出回るのが早いとか)。山と海が近くて景色がいいのが何より長崎の取柄だと思っているのでアウトドア好きな方にはいいかもしれません。

 

次回は最近長崎市に帰省した時の事を書こうと思います。

前を見る事/新年の抱負

去年、ある時夢を見てから過去に囚われるようになりました。そのせいかやる事全てにおいてあまり手が進まなかった。酷いときは一日の半分以上をその事を考える事に使っていた。深海に徐々に沈むような日々でした。解決しそうにもないことをずっと考えて思考の無限回廊に陥り、ただ一人で思い悩む日々が続きました。このままではいけない事に気づき、新年という都合のいい土台を利用して地元の神社に前を向けたらいいなとお祈りしてきました。

 

過去を客観的に見れるようになるのは自分にとっては非常に難しい。昔の自分に強い負い目を感じており、その事が今でも足かせになってるのを時折痛感する。あまり想像できないと思いますが、昔の自分は人前で喋る事ができない、場面緘黙症を患わっていました。幸いにも周りは優しくしてくれる人が多かったです。自分はその事には感謝しています。ある時から心を開いて口を開けるようになったので、いろんな人と話そうと思うようになりました。当時話せなかった人に仲良く接する事で、過去を取り返したいという気持ちが芽生えました。

 

浪人、これが人生のターニングポイントなのかもしれない。一年間浪人していましたが、気の合う高校の仲間とよくつるんでいました。どちらかというと中高6年間より楽しかった気がします。ただ僕は謝る事すら許されない事を昔から優しくしてくれた人に言ってしまいました。今でもその事を思い出すたびに心のつっかえが解消できない位にトラウマになり、過去に囚われる要因になっています。浪人についてはあまり話したくない事が多いのでこの辺で。

 

大学に入ってさらに環境は良くなりました。共通の趣味の仲間が初めてできました。馬鹿な事を繰り返す経験が自分に遅れてきた青春を実感させました。今思うと、自分の人生はより良い方向に向かっているのは間違いないと思います。

 

暗い過去の話はこの辺で、最後に明るく新年の抱負でも、主に3つ。

 

まず、大学院を卒業する事。入学した当初は自分はコミュニケーションできない人間だから博士課程へ行きたいとか思っていましたが、僕は研究の本質的部分についていけなかったので、結局就職する事にしました。それと同時に研究へのやる気も潰えてきました。他にも過去に囚われて精神状態が余りよろしくない所もあり、修士論文の執筆モチベーションもあまり出ない所にあります。しっかり修士論文執筆と発表をやっていきたいと思います。

 

音楽について。去年は主に大学の研究室のせいであまり音楽にかける時間がありませんでした。現在ワンルームの狭い部屋に住んでいますが、物が多すぎるのと精神状態が良くなくて掃除する気がなく部屋が汚いのとであまり練習する気に慣れません。僕は基本的に大学のサークルの部屋を借りて練習しているのですが、サークル棟に行くのが面倒に感じる事が多いです。

 

一つ目は楽器部屋を作る事。今年は就職に伴い新居に引っ越すイベントがあります。物件は鉄筋コンクリートの5階建てマンション最上階角部屋2DKです。かなり広い物件なので、他の部屋に隣接していない一つを楽器部屋兼作業部屋にしたいと思っています。卒業云々のあれこれが落ち着き楽器部屋を作った所から、音楽活動を加速的に進行できると思います。自分も演奏があまり良くないときがある事を自覚していますが、これで大分改善されるのでは...と思っています。楽器部屋については、防音などもしっかりしていきたいと思います。特に、床の防音に詳しい人いたら教えて欲しいです。

 

二つ目は作曲する事。今まで散々言ってますが、楽器部屋ができた時点でそろそろ曲作りを開始したいと思っています。これまで部屋が狭すぎて面倒に感じていましたが、今年は最低3曲は作れたらいいなと思っています。

清算

5月まで研究できてたのに6月のある時期から急にできなくなった。研究のストレスで変な夢を見たからだろうか、これまで頑張って抑えてきた物が抑えられなくなるって感じで嫌ですねー。

 

最近高校の同級生と会う機会が増えて過去を清算したい気持ちになってる。「昔のボクって全然喋らなかったヤツなんですが、今こんなに喋れるようになりました!」みたいなアピールと受け取られるかもしれん。昔の自分は本当に喋らなかったヤツで、人見知りが酷くって。場面緘黙症みたいなのをアベマTVなんかで見てあーこれ俺だった!みたいな感じになりました。

 

昔から自分を肯定がすることできなくて、それを厳しい親のせいにしてたけど、大学で初めて一緒に馬鹿する事ができる楽しい仲間に囲まれてやっと自分を受け入れられるようになった。仲間のかけがえのなさって意外と後から気づくもので切ない。おかげでこうやって割り切って昔の人とも話せるようになった、闘っていかないと(自分と)。

朝帰り

一日に縛られるのがやはりバカバカしいと感じたので、夕方~翌日の夜明けくらいまで大学にいる。2/3研究室で、残りは楽器弾いたりして遊んでる。

 

朝帰るとき、空気が澄んでて、閑静で、超然とした感じが得られた。

この感覚は地元にいた時を思い出す。長らく味わっていなかった懐かしい感覚。

僕がかつて「自然」という言葉にに抱いていたイメージがこんな感じであった。周りは緑に囲まれていていなくても、この感覚を得られることに気づいた。

都会の人が定義する「自然」は自分のイメージとはちょっと違う気がする。たまに「自然」を味わうために公園を目的地にして散歩する。公園には確かに緑に囲まれているが、家族連れやらカップルやら、自分とは縁遠いものを嫌でも見させられる。「自然を味わおう」とかいう薄い言葉に騙された。

 

僕は過去、思っているよりこの感じに依存していたのかもしれない。思えば静かな空間に行き、静かなピアノの曲を流すことに酔っていた。

愛を示す事

月曜日大学の卒業式ということで、研究室の飲み会があった。僕の研究室には教授と准教授が3人いて、ぼくは彼らのことを「柱の男」と読んでいる。僕は博士課程に行きたいと思っていて、選択に覚悟がある。准教授のひとりに酔った状態で博士に行くことを伝えた。しかし、これだと本心で言ったことかどうか分からないように捉えられているようだ。後日、腹を決めてボスに言うことにする。

 

そもそも研究も思うように進まず、自分の無力さを自分の中でひた隠しにしている。それにより絶望、ストレスが溜まってきている。色々抗ってきたが、上手く寝れなかったりPCを前にして手が止まったり、正直に辛かった。最近毎日のリズムを刻むことが解決策だと思って実行していた。これは今までの策の中で最も効果的だ。寝れない事を酒に頼って解決しようとしたことで崩壊したけど。この状態だと就活のやる気もとても起きない。自分なりに必死に生きているつもりだ。

 

僕は今まで自分というのを上手く分かってないんじゃか。最近twitterで連投しているのは自分を形にしてメモしながら理解したいからだ。これに対する他人のレスポンスも返ってきて面白い。もともと自分なんてどうでもいいと思って生きてきた。自分は怠惰で、臆病で、冷淡な人間だ。

 

ラボ飲みの後、ロッ研の部室に寄って酒の席で記憶を飛ばすほど飲んで失神した。これまでのぼくの飲み会の中では最高値だ。僕はロッ研に入る前は今よりも人に怯えて生活していた。ロッ研は僕のような一人者の集まりで、一人者でもなんとか生きていけるように僕を変えてくれたんだ。しかし、そんな一人者の集まり時代ももう終わる日が近いのかもしれない。時を超えて徐々に形骸化しつつあるロッ研の行いを17の先輩は体を張って継承してきた。僕も何かしらの形で示したい。後輩にロッ研の重みを示したい。ロッ研について書くと愛憎が溢れて無限なので省略します。

 

研究室でもロッ研でも普段喋らない僕なりに、薄く曲がった愛情を示したつもりだ。文句があるならいつかバトルしましょう。

 

今日は気持ち悪くて家から一歩も出れなかった。汚い部室の掃除出来なかったことを謝っておきます。酒は飲みません。